2018年大河ドラマ 『せごどん』

来年でちょうど明治維新から150年ということで、2018年の大河ドラマも西郷隆盛に決定したようですね。西郷隆盛といえば勝海舟との会談で江戸無血開城を約束した明治維新の立役者ですが、一説によると既に山岡鉄舟が駿府辺りで下交渉を済ませてあったようで、あの会談はデキレースだったのではと言われてます。

この会談で西郷さんは江戸の治安維持を勝さんに一任してしまいますが勝さんも板挟みで困ったでしょうね。勝さん得意の弁舌であっちこっち説き伏せて大半の旧幕臣(新撰組・大鳥圭介・榎本武明ら)を江戸から追い出してみせましたが、残った彰義隊を抑えることが難しかった。そこで新政府は京都から大村益次郎(村田蔵六)を呼び寄せて彰義隊討伐を担当させました。

この時期江戸の新政府軍の参謀の海江田信義と反りが合わず恨みをかってしまったようです。海江田信義の志士歴は古く、末の弟は桜田門外の変で唯一決行に参加した薩摩人で、本人も生麦事件で英国人にとどめを刺した人物なので、海江田にとってぽっと出の大村をよく思わなかったようです(大村益次郎の経歴は省略させていただきます)。さらに大村の無愛想が余計に海江田を刺激してしまったとも。そんなことは意にも介さず大村は新政府軍の総指揮をとり、この後の北越戦争も終結させ明治維新を迎えるわけですが、翌年浮浪武士に襲われて落命いたします。裏で海江田による扇動があったと言われていますね。

大村は戊辰戦争終結から亡くなるまでの1年間で明治陸軍の基礎(内乱を想定)を作ったと言われています。この功績を讃えて山縣有朋が靖国神社に銅像を建てたそうです。大村は生前に西郷隆盛が反乱を起こすことを予言していた様です。十年後、西南戦争が勃発したが大村益次郎の構想通り陸軍が機能し西南戦争も終結しました。

来年の大河ドラマはどんな西郷隆盛なんでしょうね。大村益次郎との浅からぬ因縁も描いていただけたら面白いのではないでしょうか。

いよいよ梅雨入り

今年も梅雨の時期がやってきましたね。雨で外には出掛けにくいし、湿度が高くてジメジメするし、洗濯物は乾かないし、少し気分が沈みがちな時期ですね。でも、この雨によって農作物が育つので、上手に付き合っていくしかありませんね

この時期はカビやウィルスが繁殖しやすいので、外に出掛けられない日は室内の掃除をするのもおススメですよ。

ところで、木材は地球環境に優しいだけではなく、私たち人間やペットにとっても優しい素材であることを御存知ですか?

木材は、空気中の水分を吸収したり放出したりして、室内の湿度が高くなり過ぎたり、乾燥し過ぎたりするのを防いでくれます。この梅雨の時期には水分を吸い込んで、湿度を抑えてくれますよ。もちろん部屋全体が木の柱・壁・天井なら、その効果は大きいですが、フローリングだけとか、壁の下半分だけといった部分的な木材の使用でも、使われている分だけ調湿効果はありますので、是非、できる範囲で木材を取り入れてみてくださいね。

不燃木材製造を開始しました

5月末に減圧加圧含浸装置の設置が完了し、5月末には試運転も行い、弊社製造不燃木材の第1号が出来上がりました。

6月からは本格的に製造を行い、在庫品として販売を行います。

ご注文から納品まで納期のかかる不燃木材ですが、在庫品なら短納期での対応も可能ですのでご利用ください。

在庫品明細

4000×115×14㎜ (4方プレーナー後不燃処理加工品)

4000×120×18㎜ (荒木)

3650×120×18㎜ (荒木)

4000×115×34㎜ (4方プレーナー後不燃処理加工品)

4000×145×17㎜ (4方プレーナー後不燃処理加工品)


コーンカロリーメーター

減圧加圧薬剤含浸装置


含浸前全数計測

木材人工乾燥装置

 

 

テーブル

これ、なんだかわかります?

オフィスのデスク、リビングのテーブルとして使っているものが、そのまま卓球台になっています。卓球台メーカーさんが製造しているそうです。

発想がとてもおもしろい!

仕事の休憩時間にさっと片付けてなまった体をリフレッシュして、また仕事を効率よくこなす。

という感じでしょうか。

赤坂見附の PLUSさんショールーム にあります。

高田純次さんの『じゅん散歩』でも紹介されたそうです。

私たちも、木を使った今までにない新しい発想で、楽しいものをつくっていきたいと思いました。

エクステリア専門フェア

日本最大級のエクステリア専門フェア「エクステリアエキシビション2017 暮らしを彩るエクステリア」へ行ってきました。


緑と水そしてウッドデッキのある場所には人が集まりやすくなります。

日本オーニング協会と日本ウッドデッキ協会のブースにも立ち寄り、オーニングとウッドデッキのコラボ見学。日本オーニング協会、日本ウッドデッキ協会の方々が熱心にPRしておりました。天然木のウッドデッキがもっと世の中に広がるとよいと思います。

馬頭広重美術館

栃木県那珂川町馬頭にある、馬頭広重美術館に行ってきました。当日は日光市の取引先に訪問後、向かいましたが、あいにく閉館していて、外観のみの見学となりました。この美術館は、隈研吾さんの設計で、2001年の竣工、数々の建築賞を受賞した建物です。建物全体を包む杉材が不燃木材だという事を聞き、機会があったら見学したいと思っていた建物、今回実現しました。

竣工当時は、杉の柔らかい色が建物全体を包んで、とても感じの良い色合いだったでしょうが、今回見た印象は、夕暮れ時も関係していたのでしょう、杉の色も黒ずんで、年月とともにこんなに変わるものかと思いました。建物を一周しましたが、エントランス部分は、屋根・壁とも杉の色が残っていると共に、館内にも通じていて、名建築物の一部を見ることができ感嘆しました。皆さまも機会があったら足を運んで下さい“百聞は一見に如かず”です。

むさしの散策

早春の武蔵小金井を散策した。

そもそも武蔵小金井とは武蔵境と武蔵小金井の二駅で武蔵文字使い、東小金井を含めると、小金井を二文字使っている。武蔵と小金井を二駅ずつ都合三駅、道中不案内者にはで紛らわしい。名前が出てから三駅目でやっと降りることができたほどだ。

JR中央線武蔵小金井駅で下車する。地名の由来は複数あるが代表的なもの二つ紹介する。「はけ」(崖の意味)の道に沿って散策した。この「はけ」の南側地域を金井原と呼んでいたものを、「こがねいはら」と読んだと言う。

二つ目は「はけ」に沿って「黄金」に値する湧水があるところから「黄金井」や「こがね井」と称したとも伝えられている。

◇滄浪泉園
明治、大正期の実業家、外交官、衆議院議員など歴任、活躍した波多野承五郎の別荘、大正8年訪れた当時の首相犬養毅により滄浪園と名付られた。
名前の由来は「手や足を洗い、口を注ぎ、俗塵に汚れた心を「洗い清める」清々と豊かな水が湧き上がる庭」の意味を持つ。

古代多摩川が長い年月かけて、南西に移っていった過程で作った段丘のひとつに位置しており、斜面は国分崖線と呼ばれ、立川市の北東から世田谷区の野毛町まで続いている。崖下の砂礫層から豊かな地下水が湧き出て、「はけ」と呼ばれている。これらの地域では、多様な植物が生育し、多くの生物の棲息を可能にしている。園内には、杉、赤松、もみじ等が数多く残り、これら樹林によって「はけ」の地下水が保たれ、フデリンドウ、ニリンソウ、ギンランなどの野草もみられる。開園に際してはこれらの動植物、地形等の自然をできるだけそのまま残すようにと、慎重な配慮のもとに整備された。参照(滄浪庭園パンフレットより)

武蔵野の特徴的地形である「はけ」とその湧き水を取り入れた別荘として使われてきた。昭和52年(1977)に都市化の波を受け滄浪園は規模を縮小

緑地、樹木、「はけ」湧泉、溜池、お地蔵様などを残し、小金井市が買収した。規模縮小とはいえ、入り口は立派な門構え、右手前の石門碑犬養毅首相自らの筆によるものだ。

はけ「湧き水」の源泉

東京名湧泉 57の標識

小金井の由来について、散策途中に立ち寄った滄浪泉園、駅のパンフレットほかの資料やらから、散策後小金井市観光センターから資料を取り寄せて調べた。

◇こんなまち・小金井
1万年以上も前から人が住みはじめ、江戸時代、玉川上水が完成し、新田開発が活発となり、急速に集落が発達しました。戦後、住宅都市化が進み、人口が約4万人となった昭和33年10月1日、市制を施行しました。その後、人口は急増し、現在は、11万人を超える人が小金井市で暮らしています。市内に大学、研究施設が設置され、住宅都市、文教都市としての性格が強いまちです。

◇「はけ」の道
武蔵野段丘の崖から湧き出る水は文字通り崖からしみ出て崖を下り無数の湧き水が寄り添うように合流しせせらぎになる。このせせらぎは四方八方から低いところに集まり一つの流れとなる。更に合流し段々大きな流れとなり、ほかの流れと次々重なり小川となる。筆者はこの流れを「はけ」見た。「はけ」の道をたどるため、滄浪庭園から東に向けスタートした。小金井街道を右折し、ダラダラ坂を下ると坂の途中に「はけ」の道の標識を右折。
「はけ」の道標識

◇金蔵院
更に坂を下ると金蔵院と言う寺院がある。本堂脇の崖のしたに水琴窟がある。水源はもちろん「はけ」。ひしゃくで水を汲み岩の割れ目に注ぐ。傍らにある「竹筒」を耳に当てると、キン、キンと琴の音のような音が聞こえ、すがすがしい。境内には年を経たムクの木、樹齢300年と称するケヤキの木がそびえたっている。「もくざいや」心得から言えば、ケヤキは300年の老木とはいえ、残念だが節だらけで使い物にならない。ムクの木はニレ科の属するというが使った経験なし。読者の皆様椋木はどんな使い方をするのかご教示いただければ幸いです。


◇美術の森緑地
大岡昇平の小説武蔵野夫人のモデルとなった地とて知られる国分寺崖線に位置する。
緑地内には、東京名湧水57選に選ばれた湧き水がある。
美術の森から流れ出る湧き水が敷石を連ねた「はけの小道」に流れ込み野川に注がれる。

 はけの小道の標識

はけの小道 敷石の下をせせらぎが流れている。

◇野川中州北遺跡
立川段丘面にあり旧野川の河道である低湿地に囲まれた中州上に立地している。旧石器時代(約1万〜3万年前)では、関東ローム層中から、石やり、ナイフ形式石器などの石器、礫群とよばれる調理場の跡が多数出土した。また低湿地に堆積した泥炭層中から氷河期の寒冷気候を示すカラマツ・トウヒ・センゴヨウ等の針葉樹や花粉の化石が多数出土、当時の自然環境を明らかにすることが出来た。縄文時代(約・・年前~1万年前)では、草創期・早期・後期の遺物が出土しています。ほかにも古代(平安・中世・近世)の遺物も発見されており野川のほとりに暮らした人々の歴史を物語る貴重な遺跡です。

野川の小さな流れ

 

ひなまつり

三月四日(土)我が家のお嫁さんの実家で毎年恒例の行事があり出かけました。

それは
♪ あかりをつけましょ ♪ ぼんぼりいに
♪おはなをあげましょもものはな♪ と・・・・「ひな祭り」です。

昔から
「人形が身代わりになって邪気を祓う」と信じられていたことから健やかな成長を祈る

「ひなまつり 桃の節句」です。

40年経っているひな壇です
関東と関西で違った所があります
おわかりでしょうか

飾りや、お料理にはそれぞれ意味があり調べました

ひな壇に飾られている花の意味
桃・・・魔除け 邪気払い
橘・・・不老長寿の力
桜・・・桃と同じように魔除け

「ひしもち」の三つの色の意味
春近い季節、雪の下に緑の草が息づきはじめ、溶けかかった雪の残る大地に桃の花が芽吹く
緑・・・長寿や健康 草萌える大地
白・・・清浄 純白の雪
ピンク・・・魔除け 桃の花

「ちらしずし」の意味
寿司・・・寿(ことぶき)を司(つかさ)どる

使われている具材にも意味があるとか
海老・・・腰が曲がるまで長生きしますように
れんこん・・・将来の見通しがいい
豆・・・健康でまめに働きまめに生きる

蛤のお吸い物・・・二枚対になっていて「一生一人の人と連れ添うように」と言う願いが込められている。

楽しい休日を過ごしました。

ともあれ娘の健康を願う親心ですね。

富士急

一月の終わりに富士急ハイランドへ行ってきました。

前日に雪が降ったみたいで雪も残っていて路面も少しツルツルと凍っているところもありました。

富士急は5回目くらい行っているのですが、一月に行くのは初めてでどの乗り物に乗っても寒かったです。

絶叫するというよりもただただ寒かったです。(笑)

戦慄迷宮は一回だけ入ったことがあるのですが怖すぎて、即行でリタイアしました(笑)

それ以来入っていません。今回もやめときました(*_*)

 

絶叫戦隊ハイランダーとういう富士急の戦隊物に会ってきました。
でもこのやる気の無さが面白い(笑)

カメラ向けてもこんな感じなのでびっくりです(笑)

たくさん乗れたので、とても楽しかったです。

また行きたいです(^o^)丿

ニッカウヰスキー工場

先日のお休みに宮城のニッカウヰスキーの工場見学に行きました。

ニッカウヰスキーの蒸溜所は現在北海道の余市蒸溜所と、宮城の宮城狭蒸溜所があります。

余市蒸溜所ができてから約30年後にできた宮城狭では蒸溜方法を余市とは異なる蒸気間接蒸溜方式を利用しています。

蒸気間接蒸溜方式とは、スチールを利用して蒸溜する方法で、ポットスチル(蒸溜窯)もバルジ型という形をしたものを利用して、余市とはまた一つ違ったウヰスキーが作られています。

工場見学をした際にわかったことは、ウヰスキーを熟成させるためは10年以上樽に入れておく必要があり、その樽づくりも大切であるということでした。

樽に最も適して利用している材料は、アメリカから製材輸入されたホワイトオークで、樽づくりは機械ではなく、今でも職人の手づくりで作られているということがわかりおもしろい経験でした。

最後にはウヰスキーの試飲もできてよかったです(^^)