むさしの散策

早春の武蔵小金井を散策した。

そもそも武蔵小金井とは武蔵境と武蔵小金井の二駅で武蔵文字使い、東小金井を含めると、小金井を二文字使っている。武蔵と小金井を二駅ずつ都合三駅、道中不案内者にはで紛らわしい。名前が出てから三駅目でやっと降りることができたほどだ。

JR中央線武蔵小金井駅で下車する。地名の由来は複数あるが代表的なもの二つ紹介する。「はけ」(崖の意味)の道に沿って散策した。この「はけ」の南側地域を金井原と呼んでいたものを、「こがねいはら」と読んだと言う。

二つ目は「はけ」に沿って「黄金」に値する湧水があるところから「黄金井」や「こがね井」と称したとも伝えられている。

◇滄浪泉園
明治、大正期の実業家、外交官、衆議院議員など歴任、活躍した波多野承五郎の別荘、大正8年訪れた当時の首相犬養毅により滄浪園と名付られた。
名前の由来は「手や足を洗い、口を注ぎ、俗塵に汚れた心を「洗い清める」清々と豊かな水が湧き上がる庭」の意味を持つ。

古代多摩川が長い年月かけて、南西に移っていった過程で作った段丘のひとつに位置しており、斜面は国分崖線と呼ばれ、立川市の北東から世田谷区の野毛町まで続いている。崖下の砂礫層から豊かな地下水が湧き出て、「はけ」と呼ばれている。これらの地域では、多様な植物が生育し、多くの生物の棲息を可能にしている。園内には、杉、赤松、もみじ等が数多く残り、これら樹林によって「はけ」の地下水が保たれ、フデリンドウ、ニリンソウ、ギンランなどの野草もみられる。開園に際してはこれらの動植物、地形等の自然をできるだけそのまま残すようにと、慎重な配慮のもとに整備された。参照(滄浪庭園パンフレットより)

武蔵野の特徴的地形である「はけ」とその湧き水を取り入れた別荘として使われてきた。昭和52年(1977)に都市化の波を受け滄浪園は規模を縮小

緑地、樹木、「はけ」湧泉、溜池、お地蔵様などを残し、小金井市が買収した。規模縮小とはいえ、入り口は立派な門構え、右手前の石門碑犬養毅首相自らの筆によるものだ。

はけ「湧き水」の源泉

東京名湧泉 57の標識

小金井の由来について、散策途中に立ち寄った滄浪泉園、駅のパンフレットほかの資料やらから、散策後小金井市観光センターから資料を取り寄せて調べた。

◇こんなまち・小金井
1万年以上も前から人が住みはじめ、江戸時代、玉川上水が完成し、新田開発が活発となり、急速に集落が発達しました。戦後、住宅都市化が進み、人口が約4万人となった昭和33年10月1日、市制を施行しました。その後、人口は急増し、現在は、11万人を超える人が小金井市で暮らしています。市内に大学、研究施設が設置され、住宅都市、文教都市としての性格が強いまちです。

◇「はけ」の道
武蔵野段丘の崖から湧き出る水は文字通り崖からしみ出て崖を下り無数の湧き水が寄り添うように合流しせせらぎになる。このせせらぎは四方八方から低いところに集まり一つの流れとなる。更に合流し段々大きな流れとなり、ほかの流れと次々重なり小川となる。筆者はこの流れを「はけ」見た。「はけ」の道をたどるため、滄浪庭園から東に向けスタートした。小金井街道を右折し、ダラダラ坂を下ると坂の途中に「はけ」の道の標識を右折。
「はけ」の道標識

◇金蔵院
更に坂を下ると金蔵院と言う寺院がある。本堂脇の崖のしたに水琴窟がある。水源はもちろん「はけ」。ひしゃくで水を汲み岩の割れ目に注ぐ。傍らにある「竹筒」を耳に当てると、キン、キンと琴の音のような音が聞こえ、すがすがしい。境内には年を経たムクの木、樹齢300年と称するケヤキの木がそびえたっている。「もくざいや」心得から言えば、ケヤキは300年の老木とはいえ、残念だが節だらけで使い物にならない。ムクの木はニレ科の属するというが使った経験なし。読者の皆様椋木はどんな使い方をするのかご教示いただければ幸いです。


◇美術の森緑地
大岡昇平の小説武蔵野夫人のモデルとなった地とて知られる国分寺崖線に位置する。
緑地内には、東京名湧水57選に選ばれた湧き水がある。
美術の森から流れ出る湧き水が敷石を連ねた「はけの小道」に流れ込み野川に注がれる。

 はけの小道の標識

はけの小道 敷石の下をせせらぎが流れている。

◇野川中州北遺跡
立川段丘面にあり旧野川の河道である低湿地に囲まれた中州上に立地している。旧石器時代(約1万〜3万年前)では、関東ローム層中から、石やり、ナイフ形式石器などの石器、礫群とよばれる調理場の跡が多数出土した。また低湿地に堆積した泥炭層中から氷河期の寒冷気候を示すカラマツ・トウヒ・センゴヨウ等の針葉樹や花粉の化石が多数出土、当時の自然環境を明らかにすることが出来た。縄文時代(約・・年前~1万年前)では、草創期・早期・後期の遺物が出土しています。ほかにも古代(平安・中世・近世)の遺物も発見されており野川のほとりに暮らした人々の歴史を物語る貴重な遺跡です。

野川の小さな流れ

 

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