大阪修業時代

私が大学卒業してからすぐ(昭和59年4月~平成元年3月まで5年間)、父の紹介で弊社の取引先、大阪の住之江区にある某木材会社に就職した。私は、生まれた時から東京の深川生まれで、外に出たことがなかった。初めての一人暮らし。大阪は、東京と比べて水や食べ物が全然違うので、生活や就職するのも不安でしょうがなかった。その矢先に仕事でツキ板(厚みが0.25~0.55ミリ程度の薄い木材板)を貼っている最中にパープルハートという材料に触れて体中にじんましんができて、さらに炎症を起こしてしまい病気になりました。ちょうどその時は、ゴールデンウイーク前で実家に帰る前週でした。体は強い方でしたが、精神的にショックを受けて、五月病にかかりました。その後1か月ほど治らず実家で通院していました。

病気が治ってから無事職場に復帰しました。最初の3年間は、第一工場(製品)でベニヤにツキ板を貼る(化粧合板)。二人でやる単純作業でした。しまいに慣れてきて、1年後に今度は第二工場(ツキ板)でスライサー機械(カンナのお化け)を扱い、責任者を任せられた。扱い材料はタモ、ナラ、レッドオーク、ホワイトオーク(ヨーロッパ)等。製材品を柾目取して、それをカンナのお化けにかけてスライスして厚0.25ミリの薄い板をパートの人と組み、取って重ねる仕事。

エピソード:昼休み、カンナの刃を研いでいる時、うっかりして左手の人差し指と中指の第一関節を切ったことがあり、応急処置として木くずを指にすり込み、血を止めた経験があります。今でも傷跡が残っています。

最後の2年間は、営業に回り展示会などに出展する仕事と上司と2人でトラックにツキ板を積んで挽き売りと配達などを行った。

エピソード:私が、得意先に配達した時、偶然 私と同じ年で、自分の家が化粧合板を扱っている店で同じく、修行に来ている人と出会い意気投合した友達が出来た。一人暮らしをお互いにしている中で、気を許す友がいると何となく、ホットしました。彼とは週末になると、よくお互いの常連の店で飲みました。今でも付き合いがあります。

大阪修業時代に学んだこと

1.大阪は、東京と違って話し方が角張っていなくて、まろやかなので、売買するたびにうまく丸め込まれてしまう。だから上手に断ることもできるし、上手に売ることもできる。相手にとって反発するような口調じゃないので、かわらず負えなくなる。

2.精神的に強くなった。

3.食べ物が東京と違って薄口なので、健康が維持できる。

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