大多喜

今年はうれしいことが続く。年越しには、会社から頂いた宿泊プレゼントで、鎌倉由比ガ浜沿いのパークホテルで新年を迎え初日の出を拝み鎌倉八幡宮に初詣、世界平和、日本の安全、業界の発展、細田の更なる発展と社員と家族の無病息災を祈願。
松がとれた3連休。家内の喜寿を祝い千葉県房総半島の尾根、養老渓谷に近い房総の小江戸と称する千葉県夷隅郡大多喜町。国の登録文化財大屋旅館に子供、孫、ひ孫達が招待してくれた。

象の国
自家用車4台に分乗、海ほたる経由で市原市にあるインド象とラクダが売り物の「象の国」に立ち寄る。ラクダは双コブラクダでふさ房毛が美しい。本場物よりキレイで元気がいい。ドバイで乗った観光ラクダは肌も汚く痩せこけ疲れ果てていた。
象

大多喜城
徳川家康の家臣四天王の一人勇将本多忠勝が、天正18年(1590年)に築城東西に張り出す丘稜を利用、本丸、二の丸、三の丸を配置、西は尾根を切る空濠、南は夷隅川に落ち込む急崖、東と西は水濠という要害堅固な城だ。現在の城は本丸のみを昭和50年(1975年)に復元したもの。

大多喜城

大屋旅館
国の登録有形文化財に指定されている大屋旅館、江戸時代の後期より大多喜城下の旅籠として操業、木製の下駄箱や長火鉢等が、当時の商人宿としての面影が残っている。明治の後期といえば明治30年代である。約120年前からの創業と推察した。ちなみに当代の店主は7代目と聞いた。

全容

以下電話でインタビューした内容。
歴史と構造
創業は江戸時代と聞いている。表玄関の部分が一番古く明治18年に改築した内部は大正の終わりに改築された。部屋数は12畳を1区画と計算し1階6部屋、2階6部屋となる。1部屋12畳を4つ合わせて48畳の大広間は大宴会用にとして使われている。我々は20人なので、24畳を使わせてもらった。
面積は定かでないが、間口10間、大黒柱は欅の1尺柱で、奥行30間で中庭があり建坪は300坪から400坪あるのではないか?
大黒柱

内部の造作と床の間の素晴らしさ
普通の座敷が床の間付き12畳、しかもすべての床の間に床柱が二本だ。唐木3木として、紫檀、黒檀、鉄刀木がある。そ他にもチーク、ウォールナットなどが使われ、プラス2木で唐木5木が左右に屹立している。和木も当然のこと使われている。角柱、洗い柱だ。
唐木のコブは、3から4コブつくりで杢目が浮だっている。一方の和木の欅などの洗い柱は水が流れるような彫り方で、和の木の優しさを演出している。素晴らしい部屋だ。大正の終わりに改築されたと聞いたが当時こんな素晴らしい材料があったのか?唐木5木などは日本に入ってきたのか。疑問に思い篠田銘木店百年の歴史を紐解くと、篠田の創業が明治30年と記され、大屋の座敷「なるほど」と納得した。
床の間 床の間

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